岬は奈良に戻ってからもなかなか心が晴れなかった。恋人の健治にはまだ父親のことを伝えれずにいた。
9月の日曜日、岬と健治は3週間ぶりにデートした。
季節はまだまだ日差しが強く、肌を焼くような感じさえした。
そして2人はいつもの銀の時計の待ち合わせ場所で待ち合わせをした。
いつものように岬が先に着き健治を待った。周囲は楽しそうなカップルばかり。
幸せそうな表情や話声。腕を組んだり、手を握ったり。岬には痛いくらい心に突き刺さるものがあった。
とその時
健治「おっ。待たせてごめんね」
岬「ううん。さっき来たところ。でも今日は暑いね」
健治「本当だね。まだまだ夏だね。岬さんの今日のワンピースとっても似合ってる」
岬「本当?嬉しい。今日はどこに行く?」
健治「わらび餅食べに行かない。美味しいお店探したんだ」
岬「健治君食べたことあるの?」
健治「ないよ。・・・・・本で見ただけ。抹茶もとてもおいしいみたいだよ」
岬「うん。行こう。私、わらび餅大好き」
岬はとてもニコニコしていた。いつも一人でいると最近はお父さんの心配ばかりで心休まる時がなかったのだ。
健治といるとなんとなくだが、心が落ち着き、一時の間父親のことを考えることなく過ごせそうだった。
電車を15駅乗り継ぎ、バスに乗り変え、30分歩き、ようやく1軒の小さなお茶屋さんにたどり着いた。
岬「こんにちは」
店主「いらっしゃい。こんな田舎にようこそ。さぁ座って。今日はどこから来たのかい?」
健治「奈良市内です」
店主「ここをどうやって知ったんだい」
健治「ある本にこのお店のことを紹介していた人がいたんです」
店主「そうかい。ありがとね。わらび餅と抹茶でいいかい」
健治「はい、2つお願いします」
お店は小さくこじんまりとしていた。席数は4席のみ。店主1人でお店をやっているようだった。
しかし傍らに店主と仲良さそうに映る女性の写真が飾ってあった。
岬「この女性は奥様ですか?」
店主「そうだんだ。5年前に亡くなってね。とっても働きものでね」
岬「今でも大好きなんですね。奥様のこと」
店主「好きとかを通り越してるよ。なんというかねぇ。不思議なもんだよ。
50年も連れ添うと言葉もいらなくなってね。近くにいるだけでいいんだよ」
岬「50年ですか」
店主「そうだね。はいお待たせ」
そう言い、店主がわらび餅を先に出してくれた。
店主は静かに陶器を選びお茶をたて始め、室内はお茶をたてる心地よい音が時を刻んでいた。
あっという間にお茶をたて、2人の前に抹茶が出された。
2人は静かに抹茶とわらび餅を食べ始めたが、その静寂は一瞬にして消えた。
2人同時に「おいしい」と大きな声が自然と出たのだ。
店主はニコニコしながらその2人の様子を眺めていた。
外は虫の声が聞こえるほどの田舎で、時折心地よい風がお店の中をかけ抜けていった。
健治が岬に真剣な顔をして話を始めた。
健治「岬さん。何か隠してないかい?」
岬「えっどうして」
健治「今日岬さんとの待ち合わせの場所に着いたとき、目が赤く泣いた後のような感じがしたから。何があったの?」
優しい、優しい健治の声が岬の頭の中と心の奥深くに打ち響いた。
岬は少し下を向いたと思ったら目を真っ赤にして泣き始めた。
それは小さく、小さく肩を震わせながら泣いていた。
その瞬間店主はそっと裏口から店の外に出ていった。
5分ほどすると岬は少し落ち着いた。
岬「お父さんが、がんなの」
健治「そうだったんだね。それは辛かったね。なかなか気づいてあげれずごめんね」
岬「うううん」と首を横に振った。
2人は15分ほど話をしている間に店主がいつの間にか戻ってきていた。
そして店主がそっと2人にきれいな金平糖を出してくれた。
岬「きれい~」
店主「この金平糖は実はもう作られていないんだ。京都のあるお店が代々作っていたけど、
そこの主の代で終わってしまってね。でもねそれですべてが終わったわけじゃないんだよ。私の頭と心の中に生きてるからね」
岬「そんな大事なものを」
店主「さっきお父様のお話が少し聞こえてきてね。あなたの中に色んなお父様がいるでしょ」
岬「はい、でもなかなか親孝行できてなくて」
店主「親はそんなもん望んでなんかいないよ。あなたが元気で過ごしてくれたら一番の喜びだよ。
だから、お父様が病気になったことは悲しいけど、くよくよしちゃいけない。」
岬「はい。そうだと思います。お父さんのほうがもっと辛いし、不安だし、寂しいと思う」
店主「人はいつかは死ぬ。私はそんなに遠くないしね」
岬「えっ」
店主「歳だよ。歳・・・・・」
岬と健治はお店に3時間滞在していた。
夏の終わろうとする夕暮れ時、2人は虫の音が聞こえる道を手をつなぎ歩いた。
そして2人の影が長く長く伸びていた。
その影を見えなくなるまで店主は見守ったのだ。
続く
By natsu