岬「はい。分かりました」
岬の声が聞こえてきた。マナー講習のスクールでの講義中のことである。
岬は真剣なまなざしで取り組んでいた。
先生「岬さん。それではだめです。相手に気持ちが伝わりませんし、お客様の心を掴めません」
先生のはっきりとした物言いが岬に深く深く突き刺さっていた。
しかし、岬は夢のため、自分を高めるためと前向きな姿勢を示していた。
岬「ふー。今日も疲れたな。色々言われちゃったな」
静香「先生、厳しいよね」
岬と同じスクールに通う静香も同じく先生から厳しく指導を受けていた。
岬「でも、自分ができてないし、気付いてないところを先生が指摘してくれるから私は頑張れる。
静香さんはどうしてスクールに?」
静香「私はアナウンサーになりたいんだ。小さなころからの夢なの。岬さんは?」
岬「私はウエディングプランナーになりたいの。以前ね。素敵なプランナーさんを窓の外から見たの。
私、この仕事に就きたいってその時本当に想ったの。それまで全く方向性も夢もない人間だったけど。
その人の笑顔や表情、仕草を見ていたら私まで幸せになれて」
静香「そうなんだね。素敵な仕事だね」
岬「うん。ありがとう。じゃあ今日もお疲れ様ね」
静香「お疲れさま」
2人はそう言い、家路に向かった。
岬は毎回スクール後には先生に指摘されたことを必ずノートにまとめていたのだ。
その時自分のある特徴に気付いたのだ。
自分が自信が少しでもなくなると少しうつむき加減になり、先生から指摘をされていることを。
岬「どうして私は自信がないと下を向くんだろう・・・・・・・・・」
その時であった実家の母親からの電話の着信音が部屋の中を響かせた。
岬「はい、もしもし」
母親の声がした。
母「岬、元気している?」
岬「うん。どうしたの急に」
母「実はね、お父さんが病気になっちゃったの」
岬「・・・・・・・・・・・・・・・えっ」
母「お父さんね。がんが見つかったの」
そういいながら母の鼻をすする音がした。
岬「お父さん。大丈夫だよね」
母「今度精密検査することになったの。お父さん、岬には言うなって言うんだけど、
知らせたほうがいいかなって思って」
岬「お父さん、大丈夫だよね」
母「きっと大丈夫よ。精密検査受けて治療方針が決まるから」
岬も泣けてきた。そうして小さなころから最近までの父親の映像が頭の中を駆け巡った。
岬「お父さんは今は」
母「家にいるよ。最近、体がなんかだるいし、熱も時々出るからって検査したら分かったの」
岬「私近いうちに1回帰るね」
母「うん。お父さん喜ぶわ。元気ないから」
岬「じゃあ、帰る日決まったら電話するね」
母「分かったわ。岬、無理しないでね。あなたも体には十分気を付けてね」
岬「うん、じゃあね」
岬は電話を切ると大粒の涙が出てきた。そして復讐のノートに涙がこぼれ落ち、文字が霞んだ。
あるバイト日のことであった。
岬「オーナー、香住さん、こんにちは」
オーナー「こんにちは。今日もよろしくね」
岬「はい」
店長の横にはオーナーの妻の香住さんもニコニコして立っていた。
香住さん「岬さん。ちっといいかしら」
岬「はい。」
香住さん「岬さん、こちらにお座りになって」
あいにく客は誰もいなかった。
香住さんが話を始めようとするとオーナーが珈琲を入れて運んできてくれた。
オーナー「飲みなさい」
岬「はい、ありがとうございます」
香住さん「岬さん。私の勘違いかもしれないけど、最近岬さん元気ないんじゃないの。何かあった」
岬「えっ・・・・・・・・・・・・・・」
そういいながら岬は一気に涙が溢れてきた。両手を顔に当て泣いた。
香住さんは岬が落ち着くのを待って声をかけた。
香住さん「ゆっくりでいいから話してごらん」
岬「実はお父さんががんになってしまって」
香住さん「そうだったの。それは不安だったね」
香住さんはゆっくり、ゆっくりと話しかけた。
岬「私、お父さんにも、お母さんにも何にも親孝行できていないのに。
迷惑ばかりかけて、大学も行かせてもらってるし。」
香住さん「岬さんはお父さんが大好きなんだね」
岬「・・・・・・・・ほとんど最近は話もしていないし。距離がありました」
香住さん「じゃあ。これからいっぱい親孝行すればいいじゃない」
岬「どうやってですか」
香住さん「簡単よ。岬さんの元気な声やお顔を見せてあげることよ。そして自立した女性であることを見せてあげることよ」
岬「・・・・・・自立した・・・・・・・・」
香住「そう。親ってもんは子供からの見返りなんてこれっぽっちも期待なんてしてないもんよ。立派な大人に成長し、自立していくことが何よりの喜びなの」
岬「そうなんですか」
香住さん「そうよ。そういうもんよね。あなた」
そういいオーナーの顔を見ると、静かに、にこやかにオーナーが縦に首を振っていた。
香住さん「近いうちにご実家に帰る予定は」
岬「はい、一度帰ろうと考えています」
香住さん「じゃあ。しっかりお父さんと向き合ってらっしゃい」
そういいながら香住さんは席を立った。香住さんの言葉は優しく強く、安心できた。
岬は自分を大切に育ててくれた両親に感謝しかなかった。そして香住さんの言葉を噛みしめていた。
その日の夜岬は母親へ電話をした。
岬「お母さん、今月の29日帰るね。1泊するね。お父さんはどう?」
母親「お父さんは安定してるから安心して。岬、ご飯作って待ってるね」
岬「うん。ありがとう」
岬の心が少しずつではあるが落ち着き始めていた。岬は香住さんの言葉を何度も何度も思い起こした。
そして、今の自分が下を向いていないか自問自答する岬であった。
続く
By natsu